奄美島唄 朝崎郁恵さん 1


(小林栄子さん・朝崎郁恵さん・私)


LOVE ROCK~human vibration
第一回目のゲスト朝崎郁恵さん
3年ぶりに登場~!!


今回は朝崎さんの衣装を長年担当されている
アジアの風21の小林栄子さん
と来てくださいました。
小林さんはアンティークの着物をドレスに仕立て、世界中でショーを開催し
日本と世界を繫ぐ架け橋となっていらっしゃいます。
私もルワンダ国際交流イベントの際の衣装でお世話になりました。

「ウガミショレー。」
「拝み候」が語源の相手を敬う最上級のご挨拶で登場してくださった。
又こうしてお話をうかがえて本当に嬉しい。深く感謝します。

3年前に奄美大島の加計呂麻島の島唄についてうかがったことを
振り返りつつ、改めて島唄と共に生きてこられた足取りを辿らせて頂いた。


島唄の研究に情熱を注いでらっしゃったお父様、辰恕(たつじょ)氏の影響で
幼い頃から島唄を口ずさんでいた。
家の中はいつも三味線と唄であふれていた。


10代の頃、福島幸義(ふくしまこうぎ)先生と共に村中を練り歩き島唄を唄って回る。
戦後当時、唄ってもらえる黒砂糖などの甘いお菓子が 幼心にとても楽しみだった。


(1960年製作の映画「エラブの海」では18歳の朝崎さんの歌声がきけます)


島唄には楽譜がなく口伝のため、先生が唄っているのを聞き自然と覚えた。
方言まじりの島唄、歌詞すべての意味を理解するのにかなりの時間を要した。


「30代まで深くはわかってなかった。
50代でもっとより深く知りたいと思った。
70代でようやく言葉の深い意味がわかった。」


人の深い心情を唄った島唄。
その歌詞の意味を言葉で説明するのは簡単ではない。
それを出来るだけわかりやすい言葉で伝えようとされている。


たとえば「おぼくり」という曲の唄い始め”あらやしき”とは
神様と人の心が繋がる心の奥の奥の奥深いところと。





「私の歌っているのは神唄」


神唄は本来カミニンジョウといわれる
神降ろしをして唄う人によってのみ唄われていた。

秋の収穫の際に村中の家から一合づつお米を集め、
トネヤといわれるご神事を行う祭事場で
お神酒をつくる。
神迎えの唄を唄い、お神酒ができたら
神送りの唄を唄い、できあがったお神酒を各家にふるまう。


今はカミニンジョウと呼ばれる人はおらず、
神唄を唄える人もいなくなってしまったけれど、
祭事場のすぐ傍に家があった朝崎さんはいつも、
神唄をまねて口ずさみながら妹さんとままごとをしていた。
身体のなかに、魂に、しっかりと
神唄は刻まれている。

「唄はご先祖さんからの授かりもの。
無駄にしては罰があたる。
体力、気力がつづくかぎり
生きている限りの
一日一年が
私にとってはとても大切なんです。
島唄は私の命そのもの。

伝えるために出来ることは何でもしたい。」


生活のなかから自然と産まれてきた島唄は
素朴で純粋そのもの。
大自然を目の前に人が心を揺さぶられ、
自然と謙虚な想いになるように
朝崎さんの唄も理由のない感動が心の奥から湧きあがる。
純粋な唄は人を動かし、人をつなげる、
そして人と神とをつなげる。



島唄を歌うことを虐げられたときもあった。
今やっと受け入れてもらえる時代になった。
生きている限り島唄のこころを届け、
お弟子さんたちにこの想いを繫げていく。
3年前と変わらない島唄を愛する朝崎郁恵さんの姿がそこにあった。